正論なんてつまらない
2012年05月07日
「人生つまらない」という人に、「それはあなたがつまらないから」という答えを返したところで、何の解決にもならないものである。
そこそこ酷薄な論理が好きな人なら、ついつい返したくなるこの問答ですが、そういう人は根本的な論理を間違えている。
そもそも、この「人生つまらない」というのは、誰かといたときに出たものなら、それはその一緒にいた人の手柄でもあるし、罪でもある。
普段人にはいわない本音を引き出せたなら、その一緒にいた人にとって、この言質は手柄になるだろう。
しかし、普段から面白く無さそーに人生を送っているその人にこの台詞を言われたなら、エンターテイナーとしてのあなたの罪である。
つまらないという人は、自分がつまらないということに薄々気づいている。
そして、そのつまらない自分の友達もつまらないということを、薄々思っている。
ようするに、この人生つまらないというのは、一種の無茶振りなのだ。
「あなたならどう面白くする?」という挑戦といって差し支えないだろう。
だから、「それはあなたがつまらないから」という正論だけは、決して返してはならない。
なぜなら、その答えこそ、「もっともつまらない答え」だからである。
Posted by 天啓 at
11:12
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牛の首
2012年04月27日
タイトルに特に意味はございません。悪しからず。
牛の首という都市伝説がある。
この都市伝説はとにかく怖い、そしてこれを聞いた人は恐ろしい目に会う、そんな話だ……。
という都市伝説なのです。
つまり、なんというか、怖い話であるらしいという解説がこの都市伝説の正体である、というタイプの都市伝説であるわけです。
実際にこの牛の首の内容を知っている人はいません。
そういうわけで、このタイトルに特に意味はございません、ということに繋がるわけです。
昨今では、ネットのニュースはクリック数を稼ぐために、やたら扇情的な見出しをのせています。
タイトルおちというのも、意外と文化なのかもしれません。
Posted by 天啓 at
15:56
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情報の作用威力
2012年04月20日
情報に価値は付随するものなのかどうかを考えてみたくなった。
若干難しい話だが、情報それ自体はその情報分の価値しかない。
たとえば、テキストデータで換算すると、4KBだったとすれば、情報それ自体の価値はその4KB分の情報に対する価値ということになる。
簡単にいうと、情報単体で物事を考えるなら、結局、情報とは量でしか測れないということである。
ただ、情報の作用力についてはまったく別の話になる。
情報が作用する力は、情報がそれ自体が働きかけたものと、作用する相手の反応力を掛けたものになる。
実例を出そう。
情報価2のデータがある。それは誰と誰が結婚する、という内容だったとしよう。
そして、友人であるAさんと、まったく無関係なBさんがそれを聞いたとする。
Aさんにとっては、2の情報と、情報の作用力3、それに対する反発力3で12という普遍的な情報数が導かれる。
Bさんにとっては、2の情報と、情報の作用力1、それに対する反発力で、2という普遍的な情報数が導かれる。
ここで問題になるのは、反発力ではなく、むしろ情報が作用する力の方だろう。
結局のところこれらは作用反作用の法則で、これらの数値の乗算は作用力の二乗に等しくなる。
……という、どうでもいいことを考えてしまいました。
若干難しい話だが、情報それ自体はその情報分の価値しかない。
たとえば、テキストデータで換算すると、4KBだったとすれば、情報それ自体の価値はその4KB分の情報に対する価値ということになる。
簡単にいうと、情報単体で物事を考えるなら、結局、情報とは量でしか測れないということである。
ただ、情報の作用力についてはまったく別の話になる。
情報が作用する力は、情報がそれ自体が働きかけたものと、作用する相手の反応力を掛けたものになる。
実例を出そう。
情報価2のデータがある。それは誰と誰が結婚する、という内容だったとしよう。
そして、友人であるAさんと、まったく無関係なBさんがそれを聞いたとする。
Aさんにとっては、2の情報と、情報の作用力3、それに対する反発力3で12という普遍的な情報数が導かれる。
Bさんにとっては、2の情報と、情報の作用力1、それに対する反発力で、2という普遍的な情報数が導かれる。
ここで問題になるのは、反発力ではなく、むしろ情報が作用する力の方だろう。
結局のところこれらは作用反作用の法則で、これらの数値の乗算は作用力の二乗に等しくなる。
……という、どうでもいいことを考えてしまいました。
Posted by 天啓 at
11:33
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